それ、本当に子供のためになっているの?びっくり仰天した親の先回り行動。
高3娘の受験対策(面接・小論文)に毎日のように付き合っているのですが、そこで娘のお友達のお母さんのエピソードを聞いて、びっくり仰天。
子供のために頑張ったのかもしれないけど、逆に芽を摘んでない?と思ったお話です。
看護学校受験の面接対策に、親はどこまで関わるべき?
今月高3娘は、推薦で看護学校を受験します。
試験科目は小論文のみで、あとは面接だけなのですが、これが楽観視できないのです。
推薦といっても倍率は高く、毎年落ちる子は多数いるため油断できません。
そこで、母親の私が看護師ってこともあり、頼られているわけです。
私がびっくり仰天したのは、うちと同じように母親が看護師だというお友達のエピソードです。
娘:「友達のお母さんも看護師なんだけど、面接対策用に模範回答集作ってくれたんだって。」
私:「えぇー?マジ???ありえない!私は絶対に作らないからね。」
娘:「お母さんは、そう言うと思った(笑)。」
娘:「そういえば面接練習の時、(友達は)棒読み感があったなー。違和感だったよ。」
文章にしてまとめるなんて、面倒くさいじゃん・・・。
いやいや、いくら面倒くさがり屋の私だって、娘の将来を思えば聞かれたことは答えるし、ヒントは与えるし、分からないことは一緒に調べますよ?
でも、ノートにまとめるのは、娘自身がやってこそ意味があると思う。
あーでもない、こーでもないって模索するから、血の通った言葉になるのだと思う。
自分で考えたものではなく、人が書いた模範解答を暗記して、それを話す言葉に本物感はあるのかしら?
どこか上っ面になりませんかね?
人を観察するプロ集団に、通用するのかしら?
同じ看護師なのになぜ気づかないの?
そんなことを考えてしまいました。
看護学生時代は、うんざりするほど根拠ばかり言わされる。
この面接対策のために考え抜くことは、合格した後に控えている実習の予行演習だと私は考えています。
看護学校の厳しさは、なんと言っても病棟での実習です。
患者さんの体を拭くというケアひとつにしても、なぜ行うのか?という根拠を事細かに突っ込んで聞かれます。
「清潔にしてサッパリしてもらう」程度の浅い解答は、もちろん却下です。
なので、何を聞かれても答えられるようにするために下調べして、レポートにまとめておくのですが、その量が半端ありません。
娘の付き添いで学校見学に行った時に、学生さんのレポートの一部を見せてもらいましたが、書式は25年前とほとんど変わっていませんでした。
なので、なぜ看護師になろうと思ったのか?とか、なぜその学校を選んだのか?とか、その程度のことを自分の言葉で言えないようでは、この先困るだろうと踏んでいます。
娘よがんばれー!
もがけー!
子育てのゴールは自立してもらうこと。
「子育てのゴールは自立」だと私は考えています。
高3の子供なんて、もうそろそろゴールが見えてもいい頃です。
それに数年後には、経済的にも精神的にも自立してもらいたいです。
いや、自立してもらわないと困ります。
いつまでも親のスネをかじられたんじゃ、たまりません。
こちとら老後の準備をしなくてはなりませんからね。
それに、誰かの指示に従ったり答えをもらうだけの人生なんて、生きててつまらないんじゃないですかね?
もがく苦しみの先に自分で答えを見つける快感、人から答えをもらったのでは得られません。
大人になったら、自らの道は自分で切り開かないとね。
自分主体で生きる、それが人生の醍醐味だと思う。
学校に合格することだって、自分で道を切り開く第一歩のはず。
だから、私は子供から求められない限り、手出しはしないで見守る方針を取っています。
そして、時には突き放すことも。
周りにいるお母さんより、私は少々ドライな母親かもしれませんね。