楽野由乃ブログ

ムダな時間と手間をはぶく。持ちすぎないシンプルな暮らしについて書いています。

それ、本当に子供のためになっているの?びっくり仰天した親の先回り行動。

高3娘の受験対策(面接・小論文)に毎日のように付き合っているのですが、そこで娘のお友達のお母さんのエピソードを聞いて、びっくり仰天。

子供のために頑張ったのかもしれないけど、逆に芽を摘んでない?と思ったお話です。

看護学校受験の面接対策に、親はどこまで関わるべき?

今月高3娘は、推薦で看護学校を受験します。

試験科目は小論文のみで、あとは面接だけなのですが、これが楽観視できないのです。

推薦といっても倍率は高く、毎年落ちる子は多数いるため油断できません。

そこで、母親の私が看護師ってこともあり、頼られているわけです。

私がびっくり仰天したのは、うちと同じように母親が看護師だというお友達のエピソードです。

 

娘:「友達のお母さんも看護師なんだけど、面接対策用に模範回答集作ってくれたんだって。」

 

私:「えぇー?マジ???ありえない!私は絶対に作らないからね。」

 

娘:「お母さんは、そう言うと思った(笑)。」

娘:「そういえば面接練習の時、(友達は)棒読み感があったなー。違和感だったよ。」

 

文章にしてまとめるなんて、面倒くさいじゃん・・・。

いやいや、いくら面倒くさがり屋の私だって、娘の将来を思えば聞かれたことは答えるし、ヒントは与えるし、分からないことは一緒に調べますよ?

でも、ノートにまとめるのは、娘自身がやってこそ意味があると思う。

あーでもない、こーでもないって模索するから、血の通った言葉になるのだと思う。

自分で考えたものではなく、人が書いた模範解答を暗記して、それを話す言葉に本物感はあるのかしら?

どこか上っ面になりませんかね?

人を観察するプロ集団に、通用するのかしら?

同じ看護師なのになぜ気づかないの?

そんなことを考えてしまいました。

看護学生時代は、うんざりするほど根拠ばかり言わされる。

この面接対策のために考え抜くことは、合格した後に控えている実習の予行演習だと私は考えています。

看護学校の厳しさは、なんと言っても病棟での実習です。

患者さんの体を拭くというケアひとつにしても、なぜ行うのか?という根拠を事細かに突っ込んで聞かれます。

「清潔にしてサッパリしてもらう」程度の浅い解答は、もちろん却下です。

なので、何を聞かれても答えられるようにするために下調べして、レポートにまとめておくのですが、その量が半端ありません。

娘の付き添いで学校見学に行った時に、学生さんのレポートの一部を見せてもらいましたが、書式は25年前とほとんど変わっていませんでした。

なので、なぜ看護師になろうと思ったのか?とか、なぜその学校を選んだのか?とか、その程度のことを自分の言葉で言えないようでは、この先困るだろうと踏んでいます。

娘よがんばれー!

もがけー!

子育てのゴールは自立してもらうこと。

「子育てのゴールは自立」だと私は考えています。

高3の子供なんて、もうそろそろゴールが見えてもいい頃です。

それに数年後には、経済的にも精神的にも自立してもらいたいです。

いや、自立してもらわないと困ります。

いつまでも親のスネをかじられたんじゃ、たまりません。

こちとら老後の準備をしなくてはなりませんからね。

それに、誰かの指示に従ったり答えをもらうだけの人生なんて、生きててつまらないんじゃないですかね?

もがく苦しみの先に自分で答えを見つける快感、人から答えをもらったのでは得られません。

大人になったら、自らの道は自分で切り開かないとね。

自分主体で生きる、それが人生の醍醐味だと思う。

学校に合格することだって、自分で道を切り開く第一歩のはず。

だから、私は子供から求められない限り、手出しはしないで見守る方針を取っています。

そして、時には突き放すことも。

周りにいるお母さんより、私は少々ドライな母親かもしれませんね。