楽野由乃ブログ

ムダな時間と手間をはぶく。持ちすぎないシンプルな暮らしについて書いています。

ミニマリストを目指している私が、どうしても捨てられない物とは?

私がミニマリストになりたいのは、家事を楽にしたいからです。

散らからない家にするのを目標に、片付けに取り組んでいます。

8月からいろいろ処分をしていますが、これだけは捨てられない・・・いえ、捨てないと決めている物があります。

それは手紙です。

書類系はすぐに溜まってしまい、頻繁に見直しが必要なアイテムですが、今も見ると元気になれるものは手元に残してます。

デジタルの時代だからこそ貴重な手紙。

ガラケーすらなかった時代、友達同士でも手紙のやり取りをしたものでした。

他愛もない近況報告のような手紙は、もう処分してしまって手元にありませんが、その一方でずっと大切にとってある手紙もあります。

・幼き日の娘からの手紙

・実母からの絵手紙

・亡くなる数ヶ月前の祖父からの手紙

・看護学生時代に実習で担当した患者さんのご家族からの手紙

このような手紙は、今もなお見返すと力が湧くので専用ファイルに保存しています。

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幼き日の娘からの手紙

娘が字を覚え始めた幼稚園〜小学校低学年くらいまで、頻繁に手紙をくれました。

文面はほぼいつも同じなのですが、はにかみながら嬉しそうに渡してくれた姿を、今でもはっきり覚えています。

あの頃は可愛かったなぁ〜・・・。

「ママ大好き」ってたくさん言ってくれたのは、もう過去の話です。

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今ももちろん娘は可愛いですが、幼児期の可愛さは別物ですね。

娘の反抗期は小5〜中1でした。

ツンケンつれない態度にげんなりした時に、幼き日の娘からの手紙を見返して気持ちを立て直したものです(笑)。

 実母からの絵手紙

年2回、孫娘の誕生日に合わせて絵手紙を送ってくれる母。

娘が幼い頃、自分宛の手紙を欲しがったのがキッカケだったと思います。

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母が孫娘に宛てた手紙ですが、私が保管しています。

こうして我が子の幸せを願ってくれる人がいるというのは、何とも有難いことです。

年齢を重ねて、当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかった、ということにも気づけるようになりました。

自分が親になってみて初めて知る親心、ですね。

ツッコミどころ満載の親でしたが、親なりに頑張ってくれたのだなぁと、思いを馳る余裕もできました。

今は感謝しかありません。

手間がかかる絵手紙だけに愛情が伝わり、温かい気持ちになるので全て取ってあります。

亡き祖父からの手紙

たびたび手紙をくれた祖父でしたが、最後にくれた手紙の内容は私にとっては衝撃でした。

まるで懺悔をするようなことが書いてあったからです。

懺悔とは、戦時下に中国を侵略した日本兵のことです。

祖父もその中の一人だったようです。

両親も知らない内容でした。

私にとっては優しいお爺ちゃんでしたが、口を閉ざし十字架を背負って生きてきたのでしょう。

戦争の話は嫌がって絶対にしなかった祖父ですが、最期に十字架を降ろしたかったのかもしれません。

祖父の苦悩を受け止めることが供養なのかなと思い、処分せずに手元に置いています。

実習で担当した患者さんのご家族からの手紙

まだ学生で未熟な私を、なぜか患者さんのご家族が気に入ってくださり、とても感謝されました。

実習が終わってしばらくしてから、担当した患者さんが亡くなられたお知らせとともに手紙が届いたのです。

ここまで人から感謝されたのは、生まれて初めての経験でした。

厳しい看護師の新人時代を、この手紙が折れそうな心を支えてくれました。

思い出の品は懐かしむだけなら必要ないけど、力が湧くなら必要。

ミニマリストというと、持ち物を必要最小限にまで選び抜くライフスタイル、というイメージを私は持っています。

そうすると持ち物は実用的なものだけ?

それだと、味気ないです。

いくつものミニマリストの人のブログを拝見しますが、そこまでストイックにやってらっしゃる方は少数のようですね。

それぞれに、思い入れのあるものを厳選して、大切にしている。

思い出の品は過去への執着の象徴となりがちですが、前を向くエネルギー源となるものならば残しておく価値のあるものなのかな、と思います。